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藤子・F・不二雄生誕90周年 記念対談
「Fトーク」


F先生のお人柄は、第1話から出ていたんですね!(辻村)
先生に驚かされたのは、「ドラえもん」の予告です。(河井)

「ドラえもん」の初代担当編集者の河井さんと、直木賞作家であり映画ドラえもんの脚本を書いたファン代表の辻村さん。藤子・F・不二雄生誕90周年企画発表会にて行われた、お二人のトークセッションをフルバージョンでお楽しみください。


かわい・つねよし(左)1945年生まれ、東京都出身。元編集者。1968年、小学館入社。『小学四年生』編集部で「ドラえもん」の初代担当編集者となる。
つじむら・みづき(右)1980年生まれ、山梨県出身。作家。2012年、『鍵のない夢を見る』で直木賞受賞。『映画ドラえもん のび太の月面探査記』(2019年)の脚本と小説を執筆。

「ドラえもん」第1話のラストにサプライズ!?
河井:今から54年前に「ドラえもん」の第1話、「未来の国からはるばると」の原稿をいただきました。最後のページを見ると、先生が背景の電柱に私の名前をつかって「河井質店」と書いてくださっていました。今になって思えば、大変名誉なことだとわかるのですが、原稿をいただいた時はぴんと来ていませんでした。「先生はこういうことをされる方なんだな」というくらいの感覚でしたね。
当時の私は小学館に入社して1年目の24歳で、漫画の打ち合わせのしかたもわからないような新人編集者でした。

辻村:最後のコマですよね。私は第1話が大好きで、何度もくりかえし読んでいます。のび太が「タケコプター」にズボンだけ持っていかれた後のコマに河井さんのお名前が入っているんですよね。それが当時の担当編集者の名前だというエピソードを知った時、藤子・F・不二雄先生のお人柄は第1話から出ていたんだなと、グッときました。今日はその河井さんにお会いできるということで、すごく楽しみにきました。
作家の立場からすると、作中に担当者のお名前を出すということは、先生は河井さんのことが大好きだったんだなと思いますよ。もう、かわいくてしかたなかったんでしょうね。

河井:名前が “かわい” ですから(笑)。

辻村:(笑)

河井:先生に初めてお会いしたのは、「ドラえもん」が始まる5か月ほど前でした。私は先生より11歳年下なのですが、当時は先生もお若かったので、勝手に独身だと思い込んでいました。でも、じつは素敵な奥さんと結婚されていて、お子さまもいたのに……。そんなこともわからない若造でしたが、「ウメ星デンカ」という作品を前の担当者から引き継いで、先生に私の小学校のころの昔話をいろいろとさせていただきました。先生は喜んで聞いてくださったので、それがあっての「河井質店」なのかなと思っています。

第1話「未来の国からはるばると」のラスト3コマ。最後のコマの電柱に書かれた「河井質店」という描き文字を見つけた当時の河井さんは、どれだけすごいことかわからず、「どうせなら医院の方がよかったな」と思ったそうです。


F先生の「好き」を感じられるもの
辻村:「大長編ドラえもん」のすべてにおいて、その舞台から先生の「好き」が表れていますよね。私が映画ドラえもんの脚本を書いた時、最初に苦しんだところがそこで、ドラえもんたちが行っていない場所がないんですよね。恐竜の時代で冒険もすれば、宇宙にも行くし、地底にも行く。先生が描かれた舞台は、漫画を描くために調べて作られのではなく、先生がもともとお好きなものから“藤子・F・不二雄先生”という人格のフィルターを通して作られた世界だと感じています。
余談ですが、映画の脚本は、じつは一度お断りしたんです。聖書の続きが書けないのと同じで、そんなことをしていいのかという葛藤があって……。でも、ドラえもんの映画の歴史って、関係者みんながドラえもんのことが大好きで、その物語の続きを大事につなげてきたんですよね。だから、自分のもとに来たバトンを次につなげるお手伝いができたらと思い直して引き受けました。そのバトンが今回の「のび太の地球交響楽」につながっているのがすごくうれしいです。

辻村さんが脚本を担当された『映画ドラえもん のび太の月面探査記』(2019年)

シリーズ43作目の新作『映画ドラえもん のび太の地球交響楽(シンフォニー)』(2024年)

河井:そうだったんですね。先生は何が好きだったんだろうと考えると、第1にご家族。奥さんと3人の娘さんを本当に愛しています。第2に漫画を描くこと。すごく真剣に漫画に向き合っていました。第3が人をびっくりさせること。先生が青春時代を過ごしたトキワ荘のお仲間のみなさんも、いたずらされてびっくりした、とおっしゃっていますよね。
そして最後が「ハンバーグライス」です。先生と打ち合わせをした後、食事に行くのですが、「何をお食べになりますか?」と聞くと、決まって「ハンバーグライス」。メニューを見ると、ステーキとかボルシチとか、私が食べたことのないおいしそうなものがいっぱい載っているのですが、それでも先生は「ハンバーグライス」。だから私は決まって「ハンバーグライス2つください」と。それがいつものパターンでした。

辻村:それは河井さんも同じメニューを頼むほかないですね!

小さな宇宙人のパピくんにふるまわれた野比家の夕食は「ハンバーグライス」! 大長編ドラえもん「のび太の宇宙小戦争」より。


あの伝説の予告も「好き」から生まれた?
河井:先生はびっくりさせることがお好きだといいましたが、私が驚いたのは「ドラえもん」の予告ですね。第1話の1か月ほど前にいただきましたが、描かれていたのは男の子とフキダシと机といすの絵だけ。「出た!」の文字や周辺は、私がデザインしました。
上司には厳しくしかられました。「タイトルは?」「主人公はこの男の子?」「『出た!』というのはなんだ?」「これでわかるのは来月号から新連載が始まることだけだろ?」「こんな予告をよく受け取ってきたな」と。私は「いや、まだ先生にお会いして聞いていないので……」としか答えられませんでした。ただ、今にして思えば、すばらしい予告ですよね?

辻村:はい!!いまや伝説の予告です。河井さんが絵の周りを切られてレイアウトされたんですね。「すごーくおもしろいんだ!すごーくゆかいなんだ!」というネームも?

河井:そうです。いただいたのは絵だけですから。

辻村:その横の「でも、どんなお話かは、正月号のお楽しみ!」もですよね。何もわかっていないのに(笑)。ここから始まった作品が54年続くということに感動します。アニメになったり、ゲームになったりして、今まで愛され続けていることに、どんなお気持ちなのでしょうか?

河井:本当にうれしく思います。というのも、連載が始まってもなかなか人気が出なかったんです。1969年にアポロ11号が月面着陸して、翌年には大阪万博といったようにイベントがめじろ押しの時代に、「ドラえもん」は地味にスタートしました。でも、こうしてみなさんに、ながーい間支えられて、これだけ大きく育てていただき、先生も本当に喜んでいらっしゃると思いますよ。 (了)

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